今でも忘れない、30年前の勤務。二人夜勤で、44床の脳外科病棟。準夜、日勤連続5日間、深夜、その日勤はリーダー業務。30代の私は、部署異動半年後くらいだった。どんなに過酷な勤務でも文句ひとつ言ったことはなかった。大人しいスタッフ、物言わぬスタッフだったと思う。私の他に、同じ勤務シフトの、師長に 気に入られていないMさんは、最後の深夜に下痢となり体調を崩しながら勤務した。この師長は、非常に依怙贔屓をする人だった。自分の気に入ったスタッフが、突然の勤務変更を申し出ても直ぐに変更に応じていた。その日私は日勤だったが、39度の発熱で寝込んでしまい、8時半前の連絡ができずにいた。師長から連絡があり、眠っていたなかで寝返りも苦痛ななか電話に出たが、熱があることを伝えることが精いっぱい。今のように携帯電話が枕元にあるわけではなく、必死の思いで出た電話だったが、「熱があるんですね。勤務できないんですね。わかりました。」で、電話が切れた。高熱のためボーっとしてはいたが、「お大事に」の言葉が無かったことは、はっきりと覚えている。この師長は、その後、副看護部長となり退職後には、春か秋の叙勲を受賞した。私への対応だけではなく、依怙贔屓で病棟運営をする姿が、上司として全く尊敬できなかった。その当時は、自身の未来に管理職があることなど、微塵にも予想していなかった。30年も前のことをいつまでもウジウジ忘れずにいる私は、根に持つ方なのかと悩むが、私のようにいつまでも「あの勤務は忘れない」と言われることが無いことを、師長方に期待する。